“Saint Catherine” Caravaggio
Today, I saw only a Carabaggio's work," Saint Catherine" recently restored at the Thyssen Museum. Carabaggio, a man who appeared as a comet at the end of the Renaissance, drawed the curtain of the baroque-art era and died like a stray dog. Although he became a favorite of the times as a vanguard of Counter-Reformation, was not well accepted by the religious circle due to his radical and extremely real style of painting. So after his death, he was forgotten for 400 years. On the other hand, the baroque art became more and more extravagant and exaggerated. But thankfully the essence of Caravaggio was transmitted to Rubens, Vermeer, Velázquez, José de Ribera and etc. Really he was already photographer more than 400 years ago, and a pioneer with a decisive influence on the industry of photography and film of the twentieth century. Without idealizing, he paints low-class people like prostitutes, grave diggers, drowned woman, gamblers, fraudsters, as the virgin Mary, the saints and the characters of the Bible, and brings us into the scene, and shouts "Watch this!” "How can you know the true good and the beauty without knowing the bad nor the ugliness?"
今日はティッセン美術館にカラバッジオの修復された作品「聖カタリーナ」だけを見る。ルネッサンスの終わりに彗星のように現れ、バロックの幕を開け、野良犬のように死んでいった男、カラバッジオ。
反宗教改革の旗印として一世を風靡するも、あまりに赤裸々なレアリティ故に、宗教界から敬遠され、400年間忘却の海に葬られた。彼の死後バロックは暴走を続け、華美で大仰な、大道具仕掛けの作品を生んで行った。
しかし彼の真髄は、ルーベンス、フェルメール、ベラスケス、リベラ達に脈々と受け継がれて行く。
彼は400年以上前に写真家であった。それも20世紀の写真、映画に決定的な影響力を与えた先駆者だ。
その生涯も映画以上にドラマチックだ。 彼はローマでならず者として生きた。飲み、打つ、買う、そして喧嘩と留置所で明け暮れる日々。どん底で這いずり回る者達と共にあった。 マリアや聖人たちを美化理想化することなく、娼婦、墓掘り人夫、水死した女、博徒、詐欺師など市井の人々のありのままの姿に神聖を見た。我々はその現場に引きずり出され立ち会わされる。「眼を背けるな、これを見ろ!」 「悪や汚れを知らないで、本当に綺麗なものが分かるもんか!」
カラバッジオは美術史上初めて、「こうあるべきだ」でなく「こうだ」とありのままの世界、つまり我々に直に繋がっている世界を描き出した。 丁度ゴッホが、「美しい世界を探すな。世界の中に美しいものを見つけるんだ。」と、ジャガイモを食う人たちに、炭鉱夫に、娼婦に、郵便配達夫に、ひまわりに、跳ね橋に、麦畑に神聖を見い出したように。
速攻で作品を仕上げ、手にした金を使い果たすまで、無頼の生活に身を投じる。果ては決闘で人を殺す。捕まれば死刑だ。「逃げろ!」
ローマからナポリ、マルタ島、坂を転がるようにしてシシリアに落ち延び、そこでローマ法王の特赦を待つ。 逃亡者特有の生死を賭けた切迫感は、天性のテクニックと相まって、隠れる先々で的確で鬼気迫る傑作を生んでいく。
だが終わりはあっけなくやって来る。ゴッホがそうだったように。 特赦状が出るという知らせを受け、栄光が彼を待つローマに向かう船にナポリから乗り込む。途中停泊したポルト・エルコレで人違いから船を降ろされ拘留される。 その間に彼の所持品全てを積んだまま船は出港していた。彼は徒歩でローマを目指すも、昔喧嘩で受けた傷から発熱し砂浜に倒れたまま死んで行く。39歳。
「たとえ僕の人生が負け戦であっても、 僕は最後まで戦いたいんだ。」- ゴッホ -