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Richard Serra


"Art is not pleasant, it is not democratic, art is not for the people" affirms . I think, it means that the identity of a human being is formed by the space and time we live. By changing our usual and comfortable space, probably we can question and change our immobilized identity. And art has its power In fact, instead of appreciating, his huge sculputure, which is better to enter and experience, gives us a feeling of never before had. It was the sort of that made me want to blurt out, "what the heck is that?" I felt even more awe than pleasant, as if glimpsed the cliffs of the universe. However, certainly broke my stereotype, and the range of my experience spread widely.

真の誕生で、もう画家は自然を正確に客観的に描写することから解放され、人間の個人個人の生の目を通して描くことが如何に創造的であるかということに我々は気づいた。印象派の誕生だ。こうして絵画は人間の想像力と個性とで科学至上主義に対抗することが出来た。

すると同時に「個性」というものが一人歩きを始め、そのうちに絵画はアーティストの「個性」を発表する手段になった。つまり、「ルノワールには少女こう見えた、モネに自然はこう写った」、といった具合にだ。まるで「個性」のショーケース。

これでは人類が皆で共有し発達させる創造性への可能性を追求することは困難となるではないか?

それに対し、後期印象派のセザンヌやゴッホが総合的な自然観、宇宙観を切り開いていった。 それが導火線となり、ピカソのキュービズムという「個性」でなく客観的に世界を捉え直そうという動きにつながり、「アヴィニョンの娘」で現代美術に点火されてしまった。しかし「個性」という怪物は生き続け、描くことから、ドリッピングという偶然性に表現を委ねたポロックでさえまだ主観性が残る。

そして「個性」から派生する、主観性、情緒性、即興性などを一切排除し必要最小限の作品としてミニマルアートが生まれた。その作家の一人がリチャード・セラだ。まさに「個性」バスター。 彼は「アートとは人を楽しませるものでも、民主的でもなく、民衆のためでもない。」と言い切る。

つまりこうだ、人間の「自分は何か」というアイデンティティーは自分が住んでいる空間と時間によって形成される。その慣習化され居心地の良い空間を変えることで、固定化されたアイデンティティーに疑問を投げかけさせ、変えていく力がアートにはあると言いたいのだろうな。

実際、鑑賞するというより、中に入って体験するといったほうがよい彼の巨大な作品に、「えっ!何だこれは!?」という今までにない感覚、心地よいというより危ないという畏怖感さえ覚える。しかし確かにこれで自分の固定観念が打ち破られ、経験の裾野がずんと広がり、宇宙の崖っぷちを垣間見た気がする。

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