"Sunflowers" Van Gogh
"Sunflowers" loved by Van Gogh grow fully towards the sun, enjoying life. There is nothing to be ashamed of, no sin. Die dropping many seeds on the ground. And new Sunflowers are born. It is the truth of the universe. Van Gogh realized that suppressing desire would be contrary to the truth of the universe. It is exactly the affirmation of life, which leads to the thought of Nietzsche. ユダヤ教は律法に従わないものは、地獄に落ちるという。 食べてはならないものが厳格に定められ、安息日に働いても罪だった。貧しいものはそれを破るしか生きていく方法は無かった。 イエス・キリストは律法に従わなくてもそれは罪ではないと言い、それで多くの人が罪の意識から救われた。だが、まだイエスはユダヤ教を内部改革しようとしたユダヤ教左派であったといえよう。
イエスの死後、キリスト教が生まれ、大本山であるカソリック教会は罪を犯しても教会に行き悔い改めれば救われると説き、それがエスカレートして、贖宥状(免罪符)の販売に至る。富は持つな、全て教会を通して神に寄進しろ。 ルターは、罪を犯して、悔い改め、贖宥状を買っても、神の存在を疑っていれば救われない、とカソリック教会に反旗を翻す。罪を犯しても、神の存在を信じていれば救われると言い切り、ここから宗教改革が始まる。しかしルターはまだカソリック左派でしかなかった。
同時期、過激派カルヴァンは、罪を犯した時点でもう救われないと断言した。聖書を読め、聖書にしたがって生活しろ、遊蕩をするな、質素に生きろ、そして働けと叱咤する。 彼のお陰で、それまで富の蓄財に罪の意識を感じていた多くの人たちが救われた。その中心が働き者のオランダ人であり、すぐにこのカルヴァン派にこぞって改宗する。
ゴッホの父親もこのカルヴァン派教会の牧師であった。 ゴッホも最初、宗教者を目指すが挫折し、多くの職業を遍歴するも全て失敗、最後にたどり着いたのが画家であった。
罪とは何か。ユダヤ教、カソリック教会、ルター派、カルヴァン派、いずれも「罪」を中心に回っている。
ユダヤ教では、足のひずめが割れていて、且つ咀嚼をする動物しか食べてはならぬとされ、キリスト教では性行為を想像しただけでも罪とされ、絶対的禁欲を厳守させられる。テーブルや椅子の脚でさえ欲情を刺激するとされ覆われた。ゴッホは、それが偽善であると見抜く。彼自身、女を買い、酒タバコを飲み、その金を憚ることなく弟のテオに無心した。
ゴッホが愛した「ひまわり」は太陽に向かって雄雄しく伸び続け、生を謳歌する。何の恥じることも、ましてや罪の意識なぞ無い。そして多くの種を地に落とし死んでいく。それが宇宙の真理であって、欲望を抑えることは宇宙の真理に反していると彼は直感した。全てを肯定し、欲を出し切って生き切ることこそが、宇宙の摂理だと信じた。
彼は1890年に自殺し、その10年後の1900年、ニーチェが発狂死する。ニーチェは生の謳歌を超人思想に昇華させ、若き日のピカソを初め、20世紀の幕を開けた美の巨人たちの根本思想となっていく。