top of page

"Mona Lisa"


Leonardo da Vinci Musée du Louvre @ ルーブル美術館

In 1911, Mona Lisa was stolen from the Louvre Museum. Picasso was also interrogated by the police as a suspect. The real culprit was an Italian, and the painting was found two years later. Due to this incident, the popularity of Mona Lisa increased on a global scale. Until then, among the experts, Mona Lisa was appreciated as the aesthetic value of "painting," but has become a byword for a masterpiece. At that moment, people stopped thinking and doubting. They blindly believe only what is judged to be good as good, and don't see anything else.

カソのモナリザ盗難疑惑! 1911年モナリザがルーブルから盗まれ、ルーヴル美術館など「燃えてしまえ」と言い放っていたフランス人詩人ギヨーム・アポリネールに盗難の容疑が掛かかった。そのとばっちりで当時30歳だったピカソも警察に連行された。ピカソ自身も美術館を燃やしてやると息巻いていたし、アポリネール経由でルーブルの盗品を買った前歴もあったので当局に眼をつけられたのだ。

結局真犯人はイタリア人で、絵も2年後に見つかった。

この事件でモナリザの人気は世界的規模で高まった。

それまでは専門家の間で、「絵」の審美的価値として評価されていたのが、この事件以降「モナリザ=傑作の代名詞」として祭り上げられていく様になる。

私もルーブルで実物を見た。鑑賞したというより見たのだ。 絵の前は大勢の人だかりが出来ていて、その間隙を縫ってまさに目撃したのだ。 人々はこの絵を探し当てて「あった、あった」と言いながら、複製などで嫌というほど見てきた記憶にあるモナリザと、実際目の前にある原画を見比べる。そして「同じだ」と安心して立ち去っていく。

他に沢山の名画があるのに、人が長く立ち止まるのは決まって自分が見知っている作品に限られる。

我々の記憶に影響を与えてくる複製の存在のほうが、むしろ主役になり、本物はその複製が本物であると保障してくれる存在にすぎない。だからこそ、その絶対的保障を請け負ってくれる「本物」、所謂オリジナル作品とその舞台である美術館は絶対的価値を持った御本尊として奉られる。偶像の誕生である。美術館にある作品が判らんのは、判らんといってるあんたの方が悪いのだ。

ピカソはそれを危惧して、「美術館を燃やしてやる」と言ったのだ。

ある「物、者」が一旦偶像になった瞬間、人は考えることを、疑うことを放棄する。良いものと判定されたものだけを良いものとして盲目的に信じ、それ以外は見ようとしなくなる。

それはある意味では時代が変化に伴う不可避な現象かもしれない。

事実20世紀以降の写真と印刷技術の驚異的発達、工場の大量生産による複製品の氾濫、さらにはソーシャル・メディアの普及が追い討ちを掛け、オリジナルなものに出会う機会は超稀になった。 またそれが当たり前で、オリジナルであるかはどーでも良くなった。 スマホのオリジナルなんて無いじゃないか?

そういう世界に我々は生きている。 美術館の「名作」はもはや絶滅した筈のジュラ紀の生物に出会ったときの驚き位でしかないのかもしれない。「あった、見てきた。」 そんな時登場したのがデュシャンの「泉」を代表するレディ・メイドだ。

彼は、複製でもいいじゃん、と本音を吐いてくれた。アート史上の「裸の王様」だ。

Featured Posts
Recent Posts
Archive
Search By Tags
Follow Us
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page