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"The Garden of Earthly Delights" (detail) 「快楽の園」ヒエロニムス・ボッシュ(部分)


Hieronymus Bosch 「快楽の園」ヒエロニムス・ボッシュ Prado Museum @ プラド美術館

"The Garden of Earthly Delights" is said to be a fantastic and mististerious painting. However, here the naked humans are expressed full of innocence in the clear scene. It seems as if a child had created his own world of fantasies without any doubt or limit. Bosch must have had a transparent and ingenuous eye gaze. 私がプラド美術館で模写をして数年たった頃、この絵の模写を始めた日本人女性が現れた。しかもなんと同寸でだ。すぐ私達は技術の情報交換を始めた。

彼女は名古屋の旧家のお姫様で、庭に鉄道が走っていたという。 マドリッドに来てすぐ模写を始めた彼女は、プラドに通うのに便利な5つ星のパレスホテルを速攻で住居にした。しかし数ヵ月後、本格的にマドリッドに腰を落ち着けるため、マドリッドの一等地にマンションを買い、子牛程もある純血種の犬二頭と一緒に暮らし始めた。ある時、その犬が病気になり、スペインでは治す医者が見つからず、チャーター機を仕立てアメリカに飛び、療養させたりもした。

彼女は毎日美術館が開き、そして閉まるまで模写を続けた。そして4年が経ち、模写は完成した。マドリッドの格式ある展覧会場を借り、そのお披露目展覧会を計画した。その準備金を日本から持ち帰り、マドリッドの飛行場でそれを掏られてしまった。「アラ、掏られちゃった。」と彼女はあっけらかんと言い、すぐ送金を日本に頼んだ。展覧会は大成功で、オープニングには当時の文化大臣など早々たる顔ぶれが参列したという。私はたまたま日本に滞在中で列席できなかった。

彼女は実に天真爛漫、天衣無縫であった。天性のものか、育ちによるのか、傲慢なところもましてや卑屈なところも微塵も無かった。しかし彼女の父君の会社が倒れかかった際、並み居る債権者を前に一歩も引かず、会社を立て直したという。

彼女とボッシュが同一人物に思えてきた。 この作品「快楽の園」は、幻想的で怪異なテーマではあると喧伝されるが、その実、明快な画面上に繰り広げられる人間達の姿にはなんとも無邪気ともいえる初々しさに満ちているではないか。 まるで子供が何の迷いも疑いも無く空想をどんどん広げて、自分だけの世界を作り上げたかのようである。まるで自分が思ったことが実現していくのが当たり前というように行動していた彼女のようだ。

傲慢も卑屈も、一枚のコインの裏表だ。 自分の弱い、卑屈な面を隠すため、人はことさら他人に傲慢に振舞う。反対にいつも自分を卑下している人は、どこかで自分より弱い者に傲慢に振舞う。いずれもそうやって内面のバランスを保っている。

人より自分が劣っているという「卑屈」「劣等感」がある限り、世界は優劣関係という色眼鏡でしか見ることが出来ないだろう。それを通して映し出される世界は、人より優れていないと自分の価値が下がるという思い込みが生んだ悲壮な競争社会でしかないじゃないか。 自分は、人より優れても劣ってもいないんだ、という真っ白い無邪気で天真爛漫な視点が透明でありのままの世界を捉えることが出来るのだ。

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