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"The Procession to Calvary"

Bruegel 「ゴルゴダへの道」ブリューゲル Kunsthistorisches Museum, Vienna@ウィーン美術史美術館

This painting "The Procession to Calvary" by Bruegel has the air of festivals or carnivals. Here, Bruegel shows the absolute indifference of the crowd before the fear and misery of the condemned (Jesus Christ and two thieves). Most of the paintings of Bruegel were depicted as "bird's eye view". It is not a human viewpoint but a God's one. And seems as if saying,"In front of God, humans are a very small existence. The good and the bad judged by them have no meaning. God as an outstanding existence had already decided everything!"

20代前半にヨーロッパ各地を約2ヶ月遍歴し主要な美術館を見て回った。どの美術館もキリスト教美術が満載で、そのキリストの受難シーンに代表される重苦しく凄惨で血なまぐさい作品の連続に辟易していた。神を畏れよ!そんな中でブリューゲルの作品に出会うと、遠くからでもそよ風が吹いて来て、そこにオアシスに出現したかにようなホッとした気分を味わったものだ。

この作品「ゴルゴダへの道」も宗教画でありながら、ちっとも血なまぐさくも、またドラマチックでもない。一見して村人達が、ある晴れた日に三々五々お祭りでも見に行っているといった風情である。「主人公」であるべき十字架を背負ったキリストも良く探さないと見つからない。 これと同時代の他の画家の絵画作品に見られるようなキリストの苦悶もマリアの慟哭や天使たちの演出もここには無い。

更に彼はルネッサンス絵画の常套的ピラミッド構図を避けて、俯瞰的構図を使っている。これはこの時代には特異である。人間回復期で人間の地位が上がったとはいえ、まだそのピラミッドの頂点には神が居た。しかしブリューゲルはそれを果敢に無視した。なんと民衆全員を「主人公」にしたのだ。無謀にもキリストもマリアも一般民衆と同等に扱かった。これがもしスペインだったら、画家は即刻火刑に処せられただろう。

ブリューゲルは宗教改革が始まった数年後にオランダで生まれ、宗教改革の嵐の中で育っている。 オランダはその中でも過激なカルヴァン派信徒が多い。

それはその教義がオランダ人の勤勉で蓄財を善しとする精神を肯定してくれるからだ。

世俗的救済を説くカルヴァンは教皇権をも否定し、神から認められるには、悔い改めることではなく、ただただ聖書に書いてあることだけを信じつつ、現世の仕事を誠実に務めることでしかないと説く。 であるから、「人は罪を犯しても懺悔し寄進すれば救われ、最後の審判で地獄に行かなくて済む」、という神の代理人であるカソリック教皇の脅しは彼らには無効になる。

ならば、あえて神を畏怖させ、寄進を煽るような大仰な作品を描く必要は無いではないか? 自分達が日々の生活で「感謝」や「祝福」に包まれて淡々と仕事に精を出しているところを神に見せればよい。

ブリューゲルの絵のほとんどは 「俯瞰」として描かれている。つまり「俯瞰」とは 人間の視点ではなく 神の視点なのだ。 「神様の下では、人間なんて些細なもの。その取るに足らない存在が判断する善悪などは意味が無い。そんなものを凌駕した存在である神が大きなところからすべてを決定しているのだ!」と言っているかのようだ。

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