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"The Frugal Meal"

Pablo Picasso Thyssen Museum @ ティッセン美術館

There will be no one who has interacted with people of all genres (from people living in a corner of society to prominent intellectuals) as well as Picasso. Knowing the human emotion of all genres, Picasso could create works that many people can empathize deeply with.

カソはスタイルを変えるごとに、女、友人、住所を全て替えていった。彼の貪欲な進化欲求に周りが付いていけなかった。 彼も全てを振り切って行かないと自分の求めている世界には到着できないと割り切っていたのだろう。 人が離れていく度に彼も人間である以上、自分だけ取り残される孤独感、絶望感を味わっていたに違いない。しかしすぐ彼の周りには別の人間関係が生まれて、その新しい刺激が彼を突き動かせていた。

人は共感を求める。それは一人残されて孤独になるのが怖いからだ。人は共感し合うことで孤独を感じないでいられる。自分の今まで生きてきた人生を肯定してくれ、仲間同士がお互いが支え合って生きられる。もしその仲間の一人がいつもと違う言動を取った場合は除外されてしまうだろう。だからそれはしたくない。支え合うことはつまり、現状に定着することだ。

この安定、定着をピカソは本能的に嫌ったのだ(日本の北斎も生涯を通して目まぐるしく名前と住居を替えた)。

創造とは誰も経験していない「新しい」ことの創出であることを思えば、当然といえる。そして孤独と絶望感を味わいながらも前進し続けた。しかしこの孤独と絶望感を味わったものだけが、その孤独と絶望感に立たされている人達と深いところで共感出来るのじゃないか?

また共感を嫌うから真に共感できると言うことが出来る。どういうことか? 飽きることはつまり極めたということだ。一度ゲームを完全攻略してしまえばもう二度とそのゲームをやろうとしない様に、ピカソは人間関係も飽きてしまう、つまり極めてしまった時点で彼らを捨て、次に移る。 普通の人間はそれは出来ない。共感関係を振り切って、嫌われるのが怖いのだ。だから今までの関係も温存しながら、別の関係も作ろうとする。つまり足して行きたいわけだ。これでは今のことに完全に集中できない。志向性の浮気である。本気であるのが本筋であろう。

ピカソほどあらゆるジャンルの人々(社会の片隅で逞しく生きる人々から知の巨人達まで)と交流した人物も居ないだろう。こうしてあらゆる人々の人間の機微を知り尽くしたピカソは自分の延長線上に人類全てをすっぽり入れることが出来た。 赤ちゃんにとって自分の周りの世界は自分のものであり、悟った人にとっては自分を含め世界は皆のものものである。いずれの場合も自他との分離がない状態だ。だから深い意味で共感することができる。赤ちゃんとも、ピカソとも。

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