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Vermeer vs Velazquez


"The Art of Painting" by Vermeer @ Kunsthistorisches Museum, Vienna

Did Vermeer use "Photoshop"!? I felt when I saw his work "The Art of Painting" in the museum in Vienna. At first sight his work seems a real painted faithfully . But watching it more carefully, I felt "something strange". "It's as if a picture retouched and modified." I said to me. He probably did such a process to organize the painting much cleaner.Therefore the use of the camera obscura was necessary. With this device he could instantly obtain a two-dimensional image. It is revolutionary. Vermeer did not have the eyes of the camera, but processed freely the obtained image. On the other hand, Velázquez, through his training since his adolescence to achieve the absolute realism, finally he could have the eyes like the camera. He could pass the reality on canvas without modifying it.

"Las Meninas" by Velazquez @ Prado Museum, Madrid

ェルメールはフォトショップを使っていた!?

ウィーンの美術館にある彼の作品「絵画芸術」を目の前にしたときそう感じた。 彼の作品は一見して目の前にある光景を忠実に描いた写実のように見える。 しかしじっと見続けていると「何か変だな」という気がしてくる。 それは画面ををうまく加工修正した写真のような感じなのだ。

そして良く見ると、イーゼルの足が一本かかれていない、影があるべきところに影が無い、他の作品では窓ガラスから見えるはずの外の景色が無い。鏡に映っている顔の向きが一致しない、などである。うまく整理されているので気づきにくい。というより、画面をすっきりせる為にこうした加工をしたのだろう。

彼はカメラ・オブスキュラ(暗箱)を駆使した。これは、通のカメラと同様で,自然物体からの反射光が,小孔を通って暗箱内に入り,壁面上に逆さの映像を結ぶ。印画紙があればそれに映像を定着させて、写真が完成する。三次元を瞬時で二次元画像に置き換えられる。画期的だ。 彼はこの装置から室内を眺め、モデルを置き、位置を変えながら画面構成を入念に行っていた。 もう既に描かれる画像は出来ているので、後は楽に画面処理が可能になる。 一旦描いた人物を消したり、位置を変えたりするのも簡単だ。コントラストや明暗の調整も自由に出来る。フェルメールは彼の視覚をカメラ仕様に替えたのでなく、既にある写真映像を加工したのだ。まさにフォトショップのエキスパート。 そういった加工修正のトリックを隠蔽するために、彼はこの画面上に自分らしき画家を配置し、ちゃんとこうして俺はモデルを見ながら描いているぞ、と、でっち上げたんじゃないか、とけしからぬ私のいつもの妄想が生まれてくる。

一方フェルメールより33歳先輩のスペイン人画家、ベラスケスは、10代から鍛えに鍛え上げられた彼の眼は、写実を求め続け、遂に目をカメラ仕様に改造することが出来た。 そうして網膜上を擦過する映像をそのまま忠実にキャンバス上に移していった。 王様であろうが乞食であろうが道化師であろうがカメラは卑賤の差を写しはしない。 こうして冷徹無比、加工修正なしの画期的作品が生まれる。 おそらく、宮廷画家であったベラスケスはカメラ・オブスキュラの存在は知っていた可能性がある。

だが彼は、こんなもんワシには必要ない、この眼で十分だ、と、ドンキホーテさながらに果敢に真実に突進していった。

正直者ベラスケス。「ラス・メニーナス」の画面上のベラスケスはちゃんとそこに居て描いたのだ。

この二人のほぼ同時代の画家の違いは、年齢の差というより宗教観の違いかもしれない。カソリックの擁護に熱狂的なベラスケスが生きたスペインの地にあっては、世界を作るのは唯一神のみであって、それを自由に加工修正することはとんでもなくタブーであることが骨の髄まで染み込んでいる。天使の羽を数センチ長く描いただけで、宗教裁判行きだ。

一方フェルメールのオランダという国は人が住めない様な湿地帯に堤防を築き、風車で水をかい出し、無数の運河を張り巡らせることで、水はけを良くし、長い困苦の結果オランダの地として誕生させた。だから彼らは誇らしげに言う、「神は世界を御作りになられたが、このオランダだけはオランダ人が作ったのだ。」 フェルメールが現実をチョコっと加工修正して何が悪かろう。 オランダ人は良く働き、工夫もする。だから世俗的救済(働くものが救われる)を重んじてくれるプロテスタントを喜んで受け入れることが出来た。

だがそれがきっかけでオランダのスペインからの血なまぐさい独立戦争が起こり、フェルメールが生まれる約40年前にスペインからの独立を勝ち取った。 これを気にスペインは世界の表舞台から滑り落ちて行き、オランダは栄光の17世紀を享受することになる。 ベラスケスとフェルメールはその明暗を如実に反映している。 ベラスケスは印象派にバトンを渡して使命を終えたが、フェルメールは一気に20世紀までワープして今も生き続けている。

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