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Matisse vs Picasso

When Picasso saw "Joy of Life" by Matisse, he was shocked, and painted with all his energy "Les Demoiselles d'Avignon". Picasso was very lucky to meet Matisse, and also was great, because of challenging him bravely instead of avoiding. They became rivals and best friends throughout their lives.

ティスが発表した「生きる喜び」を見たとき、ピカソは激しく動揺した。ピカソにとって初めての強敵である。まさに待ち伏せだ。それまで彼は自分の画家であり師匠である父親を既に13歳で追い抜き、美大の教授連も薙ぎ倒し、破竹の勢いでパリに登場。最初極貧生活だったが、青の時代、バラ色の時代でヒットを決め、もはや敵無しと安心していた矢先の1906年だ。 フランスのエスプリの申し子、マティスにどうしたら打ち勝てるかとピカソは初めて本気になった。

キャリアは断然ピカソが早い、なんせ赤ん坊の時、最初に覚えた言葉が「エンピツ」。ルネッサンスから印象派までの先人達が作ったルールを自由自在に使いこなすことが出来た。業界の超優等生。 一方マティス先生は、21歳で盲腸で入院、その時の暇つぶしで初めて絵を描いた。それが幸いした。 さらに師事した先生のギュスターブ・モローがまた素晴らしい。彼は生徒に自分の描き方を押し付けたりせず、各生徒の個性を引き出す才能に長けていた。マティスは真っ白い状態で最初から伸び伸びと好き放題に描けたのだ。そして誰も考え付かなかった新しい絵のルールを見つけた。

ピカソの正統必殺パンチ攻撃に対して、マティスは足蹴りで不意打ちを掛けたようなものだ。ルール違反だ!ピカソも新たなルールを作らねば、と10ヶ月掛けて描きあげたのが、「アヴィニョンの娘たち」。 これはもう禁じ手ありのバーリ・トード(なんでもOK)だ。 キャンバスサイズもマティスのより一回り大きい。どうだ参ったか? (だが、その丁度10年後デュシャンが「泉」を持って乱入。アートのリングそのものを破壊してしまった。まさに業界のデストロイヤー。)

ピカソとマティスは、二人は生涯を通し、ライバルで親友になった。マティスというライバルに出会えたピカソは幸せだった。またそれを避けることをせず、果敢に挑んだピカソは偉かった。

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