Lucio Muños and Me
I shuddered when I saw the retrospective of Lucio Muños at the Reina Sofía Museum in 1988. At the same time, a two-week workshop sponsored by the Association of Artists of Madrid was held inviting him as a teacher. I aplied, and luckely was among about 15 chosen artists. One day, he said to me "Just try it. And let's see what happens afterward?" and "Also paint that you think dislikes." These words changed my life. I was 33 year old.
運はいつも人との出会いがもたらしてくれる。 レイナ・ソフィア美術館でのルシオ・ムニスの大回顧展を見た時、私は震撼した。 その展覧会にあわせて、美術家協会主催で彼を講師に招いての2週間のワークショップが開かれると聞き、応募した。選ばれた15名の中に幸運にも私も居た。1989年。33歳の時だった。
我々は銘々作品を作り始めた。広いアトリエと潤沢な材料。気持ちよく伸び伸びと仕事が進み作品もどんどん出来ていく。だがルシオ・ムニョスは哲学者の様に椅子に腰掛け、何日も黙って我々の作業を視ていただけだった。ある日、彼は立ち上がり、一人一人に静かに話しかけていった。 私の番が来た。彼が私に言ったのは「嫌いな絵を描いてみなさい。」「取り合えず、やってみることだ。」 この二言だった。私の筆は止まった。人生が変わると直感した。
「好きな絵を描くのがアーティストではないか?」「こんなに、多くの作品を作っているではないか?」私は考え、考え抜いた。今でも。
私たちの日常生活は無意識に支配されている。それは心臓を動かしたり呼吸することから、立ったり座ったり、または倒れる際に手を出して危険を避けるとか、90パーセント以上の行動は無意識的に行われる。すべてを意識的に行うことは不可能だ。 これは我々が安全に生きて行く為の自己保身にとって最も大事なことと言ってよい。その延長線上で、いつもと同じ道を通り、いつもと同じ店に行き、いつもと同じ人に会い、いつもと同じようなものを注文する。
だが、創造の場においては、この無意識が「負」に働く。 いつもと同じ材料、いつもと同じ色、いつもと同じ形、いつもと同じようなストローク。 我々は凄い作品に出会うと、ナイフでグサリとやられた衝撃を受ける。 それまで持っていた価値基準が壊されるからだ。それは今までに見たことがない、「何か」だからだ。新たな価値基準、認知システムを作り直さなければならない。それが「創造」ではないか?それはある意味で苦痛で面倒くさい作業なのだ。人が行動を取らない理由は二つ。怖いか面倒くさい。
本能はこの無意識を使って危険な道をさけ、自分の記憶にある安全で無難な道を選ぶ。作る側も見る側もこうして自分の記憶にある、「良い」と判断された作品ばかりを作り、あるいは見る。共感出来、心地よく、癒される作品が生まれる。
「嫌いな」と言うのは、この怖いと面倒くさいに立ち向かい、「取り合えず、やってみる」ことを止めようとする警報であり、本能だ。 しかし、安全で無難な道を徘徊していて、ある日突然エベレストの頂上に立っていることはありえないじゃないか。