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Kaguya's ship - かぐやの船

廣榮堂倉敷雄鶏店 @ Koeido Kurashiki Yukeiten

今回の作品「竹取物語」は、育てられた老夫婦と別れて元居た月に帰っていくかぐや姫がテーマとなる。 銀色に輝く満月「銀の月」に向かってかぐや姫は18艙の「かぐやの船」に守られて連れ去られる(オリジナルでは御所車に乗せられている)。月の前に掛けられてある御簾「記憶の雨」はそこを抜ける際、かぐや姫の地上での生活を忘れさせるために彼女の為に用意された「天の羽衣」である。

「竹取物語」が書かれたころには、海の信仰に代わり空の信仰の方が一般的になっていた。しかし、日本では、西洋に見られるようには、地下や海を悪魔の住む場所とは見なされず、空は海の反転したものと考えられた。「竹取物語」と「浦島太郎」の物語のように。 「竹取物語」では、かぐや姫は月という不老の美しい楽園から汚れた地上に彼女が月で犯した罪を償うために送られ、時を経てまた月に呼び戻される。

これに対し「浦島太郎」は海で物語が展開される。浦島太郎はこの汚れた世界から海中の楽園竜宮城に行き、再び俗世界に戻ってくる。しかし「月」と「竜宮城」が俗世界と往還している点が共通しており、海と空を反転させればこの二つの物語は驚くほど似ている。 さらに浦島太郎が持ち帰った「玉手箱」を開けると歳をとり、かぐや姫が「天の羽衣」を被ると不老になる。 これは「月」も「竜宮城」も母なる胎内のメタファーであり、そこにいる限り歳を取らず苦しみもないことを示唆している。 もともと日本だけでなく世界中にあった地母神崇拝が、世界的にはキリスト教、ユダヤ教、仏教などの父権宗教へ移行していったが、日本は、この「精神革命」の波を被ることなく今日に至るまで縄文時代の母権的価値観が色濃く残り続けた。その影響で日本神話にも地母神信仰と父権宗教の要素が入り混じっている。

「竹取物語」も「浦島太郎」も胎内回帰がテーマであり母なる自然の肯定に他ならない。母なる神は人々に豊穣を与えてくれる。 一方父権宗教に脱皮していった西洋では、父なる神は人々に試練と苦難を要求する。そのため自然は甘える対象から克服する対象へとシフトしていった。 これが日本と西洋の自然観の大きな違いであろう。

                       2018年5月 山口敏郎

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