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"Dutch Interior" Joan Miró


"I had the postcard pinned up on my easel while I painted,"

Miró bought a postcard reproduction of a seventeenth–century painting by Hendrick Martensz Sorgh at the Rijksmuseum in Amsterdam

35歳のミロはアムステルダム国立美術館にあるこの17世紀のオランダ風俗画の絵はがきをパリに持って帰り、それをもとにこの「オランダの室内」を描いた。

ミュージアム・ショップでミロがポストカード・ラックから絵葉書を選んでいる姿を想像するとほほえましい。ピカソも10代の終わりに始めてパリでの生活を始めてすぐにすでにカメラを所持しており、撮った写真を参考にしても絵を描いている。

しかし、写真のない時代には画家はどのようにして異国の画家たちの絵について知ることができたのだろう?ベラスケスやゴヤなどの宮廷画家は自由に王室のコレクションにアクセス出来た。ルーベンスは外交官でもあったのでヨーロッパの主要な名画を見るチャンスがあった。

しかしそれ以外の大多数の画家は、おそらくそれは名作を複製した銅版画からであっただろうし、または実際その作品を見て模写やスケッチして持ち帰るか、それを見せてもらうしかなかったろう。一点の作品をそれこそ穴が開くほど凝視していたはずだ。ゴッホも好きな画家の作品の銅版画をコレクションしてそれを元に研究し画論を構築していた。今のように世界中を自由に旅行してまわったり、画集やましてインターネットによる情報伝達メディアによって膨大な絵のイメージにアクセスすることは夢のまた夢の世界であった。

しかし写真の無い時代の画家は「幸い」でもあった。

何故なら、人の脳の能力は個人差はあっても無限ではない。

例えば、100の能力があるとして、その99パーセントを情報収集と情報処理に費やしてしまえば、残り1パーセントの力で、その得られた99パーセントの情報に対して考察していかなければならない。反対に情報が1パーセントであってもそれに費やされるエネルギーが99パーセントであれば熟思することが可能であろう。見て回ることと見ることは違う。

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