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刻の美術館


廣榮堂倉敷雄鶏店 @ Koeido Kurashiki Yukeiten

http://www.koeido.co.jp/yukei.html

「どこかみたような風景はまさにこれから見るであろう未来の風景である。」

 現在から過去のある時点は未来のある時点と等距離にあり我々の到達できう

る視点もその範囲にまで広げうる。

ならば過去をどれだけ深く見ることにより未来も透視できうる。

反対にいかに前衛なものをつくろうとも、それはすでに過去にあるのだ。 

しかしこの前衛を目指す行為が無いならば、過去という事実も認識されないのであり、前衛であればあるほど過去にさかのぼれる振り子も大きく揺れ、現在という我々のいる支点がダイナミックな生命理由を与えられる。

伝統と前衛の相反が生む創造性の弁証法が人間の生命の基本的認識の位置づけとなりうる。古いものに古いものを添えるだけでは復古趣味でしかなく負の方向にしか生命のベクトルは働かない。常に壊し断ち切っていくことが逆説的に伝統へと結びついていくのである。  

 建築家、大角雄三氏デザインの廣榮堂藤原店に私の作品を取り入れて頂いた御縁で、この雄鶏書房店「刻の美術館」プロジェクトに加わった。

 今回は、この空間を大海に見立てゆったりと漂う「時」の表現を試みた。

内部にスピーカーと色が変化するLED電球を仕込んで天井から吊られた4個の「くらげ」はまさに我々を海の底にいるかのような感覚に誘ってくれる。また子宮の中の羊水と成分が似ている海水に満たされた海はまさに母の胎内であるといえる(ラテン語でも母‐materは海‐mareと近似している。

同時に、母-mother≒物質‐materia)。

さらに映像作品「海月」が、くらげ、月、海それに宇宙のイメージをプロジェクターから投影し、オーディオ・マエストロ、是枝重治氏の音響とあいまってこの空間を海から宇宙へと夢幻的にワープさせるのである。

 宇宙からの信号をイメージしたステンドグラスからの光りを受けながら階段を上ると、作品「記憶の船」が過去、現在、未来を往還する。

そして二階の展示作品「火の記憶」では、人類の最初の利器の一つである「火」を赤い華で表現した。それは同時に男性原理としての精子であり、階下の空間へと流れ込んで行く。

無限の可能性を秘めて暗闇の中でまどろむ「母≒物質」は「火≒精子」による受精を通して初めて「意味」を懐胎し、それが「言葉」という胎児に変容し「時‐刻」を産むのである(海≒産み)。 

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