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DREAM

色々な国で展覧会を開催し、多くの人たちと交流する中で、どうしても自分が生まれ育った東洋と現在人生の半分以上過ごしている西洋との文化の違いに突き当たる。それが同時にコピーの寄せ集めではなく本当のオリジナリティーにはどの様にしてたどり着けるのか、創造性の発露はどこに求めるのかを真剣に考え始める契機になった。

ルネッサンス以降西洋の絵画は科学の一部として発達してきている。

それは三次元の世界を二次元の平面に置き換えるという目的があり、如何に自然を分析しコントロールするかが主題であった。そのためランダムな要素は極力排除された。

一方、東洋では絵を描くことは自然と一体となることであった。あえてコントロールしにくいランダムな効果が生まれる筆や滲む墨と紙を使う。それは描く時の心の動きが鏡のように紙の上に写しだされるからだろう。

描くこと自体が、心を反映させて自然と遊ぶ経験であり、自然そのものとの共生体験であった。

言葉をかえれば、描くことは心の所在を確かめる方法、つまり「内観」であった。

1950年代にアメリカでポロックたちの登場とともに現代美術の幕が開く。

ポロックのとった方法は、西洋美術の歴史へのアメリカン・インディアンの「砂絵」からインスピレーションを受けた東洋の「内観」という未知なコンセプトの流入ではなかったか? 

しかしそれが正当に理解され美術史に受け入れられたのかは疑問である。

また仏教の無常観からくる「はかなさ」および「空」と言う観念もそれまでの西洋美術が目指してきた「恒常性」という確固とした目的性を揺るがすものとして対峙する。

現在、東洋と西洋がクロスオーバーして、一見融合しているように思われるが実際この二つの壁を乗り越えるのは容易でない。凡人の私はやっとそれに気付くだけで30年掛かったと言えよう。

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