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傷つけることと癒すこと


傷つくことを恐れ

踊ることを知らない心

目覚めを恐れ

チャンスを活かせない夢

奪われる事もなく

与える事も忘れた人

死ぬことを恐れ

生きることを学ばない魂

(The Rose / Bette Midler)

 たとえば素晴らしい芸術作品に出会った時、”撃たれた”あるいは”ぐさりときた”とか表現されるように、自分が何かに傷つけられたような感じを受ける。科学者によれば、その時頭脳はその新しい経験をそれまでの認識のシステムでは対処することが出来なくて全体的な再編成を余儀なくされるそうだ。

その再編成の結果として、ある新しい何かが創造されるが、このプロセスを創造と呼ぶことができるかもしれない。 

私たちの認識システムと現実の世界とのギャップは、私たちが創造的であるための栄養素であるだろう。

 何故ならば、私が「SEEDS展」のマニフェストで述べたように、”独創性は他者との接触やコミュニケーションから生まれる”。つまり、自分の経験を表現し、その経験と他人の経験との違いを明確に認識するプロセスを通じて、自分自身がどんな人間であるか、意識的に知ることができると考えるからだ。

大切なのは馴れ合い的な会話をするのではなく、率直で誠実な意見の交換を通じて、他者との異なった考えを認めることなのだ。それはとてもしんどい事だ。しかしこのギャップと向き合うことなしには、人は創造性のために必要な刺激を受けることはできない。

 実際、時として私たちは誰かと話をするまでは自分が何を考えているかを本当に知ることができないことがある。

自分を表現するというのは自分自身と対話する一つの方法だ。つまり、考える、表現する、そして表現されたものを感知することでしか自分自身を認識するというループが完成されない。私たちが考えていることと表現することとの間のギャップが大きいほど、何か新しいものを創造する可能性が、そして自らを変える可能性がより大きくなると言える。

そしてそれこそが創造というものが私たちに与えてくれる最大の恩恵の一つであろう。

 同様に、作品を創ることは私たちが何を考えているかを知る一つの方法である。やりたかったこととなされたこととの間には当然ギャップが生じる。

そのギャップの大きさを小さくすることは簡単だ。ただ単に出来ることをする、或いはいつもやっていることを繰り返せばよいのだ。しかしそれは創造ではなく、生産である。

そうだ、不確実性の海に飛び込むことを恐れる必要はない。なぜなら生きるということは、不確実な未来に向かって私たち自身を造り続けることだからだ。

 このタイトルの「傷つけることと癒すこと」が示唆するように、もし人にギャップに向かい合う勇気があれば、常に新しい自分を創り続けることができるだろう。

   2011年 マドリッド 山口敏郎

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