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胎内=油亀


「胎内=油亀」

油亀 岡山 2009

▪ガイダンス

どこかみたような風景はまさにこれから見るであろう未来の風景である。現在から過去のある時点は未来のある時点と等距離にあり我々の到達できうる視点もその範囲にまで広げうる。 ならば過去をどれだけ深く見ることにより未来も透視できうる。 反対にいかに前衛なものをつくろうとも、それはすでに過去にある。 

しかしこの前衛を目指す行為が無いならば、過去という事実も認識されないのであり、前衛であればあるほど過去にさかのぼれる振り子も大きく揺れるのであり、現在という我々のいる支点がダイナミックな生命理由を与えられることになる。

過去゠伝統と前衛゠創造性の弁証法そのものが人間の生命の基本的認識の位置づけとなりうる。

古いものに古いものを添えるだけでは復古趣味でしかなく負の方向にしか生命のベクトルは働かない。

常に壊し断ち切っていくことが逆説的に伝統へと結びついていくのである。

今回の油亀におけるインスタレーション「胎内」は、油亀自体が投げかける知的背景、世界解釈の補足的説明ではなくそこで暗示されているその生命存在を確認するための可視的方法をとった。

それでは、いかに油亀の空間を躍動的生命体として捉え、過去と未来につながっていることを確認するのか?

▪仮説としての油亀-油亀は胎内である。 それ自体が独立した自己生殖体である。

岡山市出石町にある築130年の商家。かつては油問屋であった。奥に細長く延びた空間、 道路から一段下がり這い蹲うように佇んでいる格好は正に亀の姿を直感させる。

その空間に最初入った時、不思議に懐かしい感覚に襲われた。それはその空間からというよりその空間に課せられた、「土間」、「座敷」、「ブリキで出来た油の貯蔵庫」、「坪庭」、「茶室」等の言葉に取りついた、思い出せない記憶のようなものだったかもしれない。その言葉が私に投げかける無意識の過去からの不確定ながら可能性を秘めた信号と、現在の自分の意識によって立ち上げた仮説とを結びつける時、空間は新たな様相を見せ、本来の「土間」、「座敷」、「ブリキで出来た油の貯蔵庫」、「坪庭」、「茶室」が立ち上がってくる。

「創造することは思い出すことである。」とはイギリスの数学者ロジャー・ペンローズの言葉だが、たしかに過去に潜む未知の可能性を呼び起こし編集しなおすことが創造的な行為であろう。

▪ブリキの部屋 商品の油が引火しないため元々銀と鉛の合金を指していたスズを鋼板に覆ったブリキにつつまれた部屋。 ここで精子としての種が誕生する。それは「銀華」として現れる。 花とは植物の性器であり、慶弔共に登場することからも既にそこに生と死つまり、エロスとタナトスという命題を内包している。 銀の結晶に包まれ、静かに射精され、土間に降り立つ。動物の精巣が体外にあり、精巣の温度を体温より低く保つのに役立っているように、油亀のブリキの部屋もメッキされたスズの持つ高い熱伝導率と優れた保温性が生かされている。 大地とのはじめての接触。 ひんやりとした感触。 

▪座敷という一段高く試練の待つ未知の空間へと辿り着く。 人が靴を脱ぎ過去に峻別し新たなステージに上がるように、彼らも子宮という恒常的な感覚から逸脱し新鮮な驚きで世界を見直すため移動する。

そしてその種は一つ一つ、過去から今までの人類(さらには人類以前からの)共通の全ての記憶が組み込まれた遺伝子という自己保存システムを持っている。 種としての生命はその記憶によって個人たりうる。 たとえその記憶がおぼろげで壁の中にうずもれたしみのようなものであろうとも。 種達は交差し, 融合し、その記憶システムは新しい記憶を組み込み共有化していく。

であるならば個の中に全体があり、全体もまた個なのか?

▪坪庭はさらに新たなステップ、不思議な空間である。亀の甲羅にぽっかり穿たれた穴、あたかも宇宙船に付けられた宇宙空間へ繋がる入り口を連想させる。 もはやここでは上とか下とかの区別は意味をなさない。 交信、何のための。 謎である。落とし穴?或いは休憩所?ここで再び土との接触がある。 大地を確認する。 そうだ、この構築物としての亀は大地の上に浮かんでいるのだ。 少なくとも置かれている。 しっかりとは大地に根付いていないのである(その大地ですらマントルの海に浮かんだ薄くて脆い地殻の上を絶え間なく流動している)。四季の変移、昼夜の差異、天候の違いを始め外界の全ての情報が降り注ぎ、種たちにアーカイブされる。 初めての外界との接触。 母体としての亀が動くのか大地が変化するだけなのか?

▪茶室。茶室にはにじり口から体をかがめて入る事により謙虚さを押し付けていると世間には喧伝されているようだ。(江戸時代の道徳観の影響からくる)。しかしかつて、茶道の創始者としての利休が現れる前までは数寄者たちはこの空間を、「健全な常識」=コンベンショナルな外界という夢から覚めさせてくれる場所として自由に空想をふくらませていたのだ。  

茶の世界では床の間には、選ばれた一輪の花、一幅の書画が供されるように、「1」がキーワードとなってくる。長い旅路を経て辿り着いた種たちもここで選別され「1」に帰していく。 床の間でまさに着床する。

センシュアルな秘儀である。 茶室は油亀の卵巣なのだ。

▪浴室 バスタブの四角い穴。 人間がそこで体を横たえるイメージは丁度棺がすっぽりと地中に埋められるのと重なり、死を想像あるいは体験させてくれる。 体が中に沈みこむ 地中に入る。そのあとまたそこから立ち上がり出て行くという再生も同時に示唆する。 そしてシャワーは洗礼を。 洗礼は本来海で行われる。 

亀も卵を海で産むようにここではバスタブに産卵される。ここでは「海」は「生み」と同音同義になり。「生む」を表す英語のBIRTHは「浴室」のBATHに通じる。 油亀のこのバスタブも新しい空間へ入り込ませてくれるエントランスとなる。油亀という異空間の終点であり玄関である。胎内から出て新しい世界に再生する、あるいは夢から覚醒する感覚。 この場合、油亀が胎内であり胎外でもある。 つまりここで表象されるのは自己再生である。 両性具有の亀。 過去と未来を常に等位置に持つ亀である。

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